チャネラーでもあり、医学博士でもあり、整体をなさる方に、整体を受けた事があるのです。
私の足に触れながら、
「親から愛されたという事になっている。自分でここまで解放できるなんて凄い!
へぇ~ そうすると、こういうエネルギーになるんだ!初めて体験させてもらいました」
と、言われたことがあったのです。
この言葉は、私にとって大きな意味を持つ言葉でした。
私にとって、母との関係は、決して良い関係ではなかったのです。
表面的には、仲が良い感じに見えていたと思います。
小さいころから、洋服を手作りしてくれていましたし、
思秋期には、スタイルブックから
「こんな洋服が着たい」というと作ってくれていたのです。
しかし、子供の頃の私は、
「愛されてない」と思っていました。
そこには、自分自身が勝手に感じていた「無価値観」の影響もありました。
無価値観の原因のひとつには
私の使命は母と繋がる事なのに、達成できていない
何かやるために生まれて来たのに、何をしたら良いのか、何をどうやったらいいのかわからない
という強迫観念の様なものが私の中にあり、
夜になると、
「今日も何もできなかった」という後悔で、毎日のように泣いては、怒られていました。
結果、悪循環の中をぐるぐる回っていたように思います。
「愛されてない」と思っていると、
脳は、「愛されていない出来事しか拾い上げてない」という事にもなるのです。
その結果、自分が信じている「愛されていない」という現実が、目の前に展開されるという事もあったとは思います。
無価値観からの思い出があります。
七五三の時の洋服を選ぶ時の事です。
母は、高島屋に連れて行ってくれて、
「この中で、どの洋服を選んでもいいわよ」
と言ってくれたのです。
好きな服は一瞬で見つかりました。
黒いベルベットでフリフリがついている服です。
その服が好きすぎて 欲しくてたまらなくなりました。
すると、怖くなったのです。
この服が欲しいと言った時に、
「あなたに、この洋服を着る価値があるの?」と聞かれたらどうしようという恐怖が浮上したのです。
悩んで悩んで・・・時間も経ちだんだん母の機嫌も悪くなり・・・
結果、
グレーの一番着たくない服を選んでしまったのです。
万が一、そう言われたとしても、
「お母さんが好きな洋服どれ選んでもいいって言ったんでしょ」
と言える自分に対しての愛がなかったのも原因でしょうね。
ここで、この服を手に入れたら、最高に幸せを感じることが出来たのに・・・
自分から、絶ってしまいました。
この心理って多くの人が持っている気がします。
一番好きな人に告白できないとか・・・そんな感じで経験されている人も多いいのではないでしょうか?