公募展に出展した絵の講評を伺いながら、何十年前に
「これはどう考えたらよいのだろう」
と思っていた事の答えが見つかりました。
昔、油絵を描いていた頃、古キャン(絵の描いてあるキャンバス)の上に絵を描くと、下から思わぬ色が出てきて、偶然性と思わぬ発見がありとても楽しかったのです。
画面に凹凸が出てくるので、趣も出てくるのです。
私はそれを美しいと感じ好きなのですが、汚くないと感じるかたもいらっしゃるのでしょうね。
そこを戦っても仕方がない事で、人の感性なのでどちらでも良い気がします。
その偶然性の描き方を、
「それは、絵を描くという事ではないのだよ」
といった人がいらしたのです。
その時、
「そうなのだろうか・・・・」という疑問を持ちました。
あれから、何十何年たったのでしょうか・・・その言葉が、頭の片隅にあったのでしょうね。
今回、講評して下さった先生のおひとりの方が、
私が、古城を凹凸のある描き方で描いたのを見ながら・・・
「僕の知り合いが、ひび割れた瓶を描きたいと思った時、絵具?でひび割れを作って貼ったのだよ。
ひびを描くのが絵であって、ひびを貼るのが絵ではないのだよ」
と言われたのです。
瞬間に思いました。
「その考え方は、絵に対しての制限になってしまうのではないかと・・・
現代美術は、何でもあり という感じがする。
ひびを貼ったとしても、貼るというところに作者の意思があるし、貼ったものと周りを調和させるにも技術も感覚も必要になるし、
そもそも、ひびを表現するのが絵ではなく、ひびというモチーフを使って、何かを表現するのが絵ではないかと・・・思ったのです。
大きな白いキャンバスに、ヤカンをひとつ貼り付けて 「ヤカン」というタイトルの絵にしても、「UFO」というタイトルの絵にしたとしても
作者が、その絵に対して、ワクワクするとか、超感覚になれるとか、異次元に行かれそうと感じたならば立派な芸術作品だと思ったのです。
だとすれば・・・
古キャンに描いた偶然の美しさを残す残さないのも、作者の感性を使うわけだし、言ってしまえば、まぁ、どうでもいいのだ」
と、うん十年前の疑問に答えと確信が見つかりました。
確信といっても・・・
「まぁ、どうでもいい」
「どちらでもいい」
「なんでもいい」
なのですが・・・
ブライトセッションの目指すところ。
それが、グレーゾーンを増やす事!
それが出来れば、傷つくことも 戦う事もなくなる!
私は、成長できているじゃない!
これは、私にとって大きな成果だわ。